通信機器や流行り歌が自分を置き去りにして走っていることを,少し前から感じてはいた。
けれども,そのベクトルの先にあるものを信用できずいた。負け惜しみがほとんどではあるのだけれど。
今テレビや僅かながら入ってくるネットの少し過剰な情報は,静かに権威や価値を破壊していく。誰がどこへ行こうとしているのだろうか。
清水昶が小声で叫んでいた。懐から取り出すウイスキーボトルは彼の演出だったのか。君,世界は明るい方へ進んでいると思えるのかい。ばかな学生たちともつきあってくれたかっこいい人物だった。彼のすがたを思った。
総理大臣は偉い,先生は敬わなければ,父親はこわかった。お酒の匂いのする近所のおっさんは,ときどきはまともなことを言ってた。
いま。画面のなかの人物は,虚言しか吐かない。もちろん,すべての人が,ではないけれど。少なくとも情報は正しいとは思えない。
武器のない社会変革ははじまってしまった。きっと,なくなる職業がでる。潰れるお店がたくさん出る。虚飾の信用を失って去る人々が少なからずでる。
にほんのくにの古くからの風習なのに違いない。おぬしも悪よのぉ~とお菓子のソコに小判をしのばせているときはいい。口には出せないから,皆が知っていて知らない演技をしているから「袖の下」だ。それがバレると,別に日本人の倫理観ではそれは決して悪いことではないけれど。バレてはいけないのだ。皆に知れると,バレてしまうと。腹を切るしかないのだ。切腹しなければならないのだ。でなければ中村主水に仕置きされるのだ。
極めて不謹慎ではあるけれど,ぼくは面白くてしかたない。とても楽しい。不謹慎ではあるけれど。
リセットが始まる。いや,もうきっと始まっている。